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走る教授 米村重信の マ ラ ソ ン 白 書 

走る教授 米村重信のマラソン白書 2018年3月25日 
とくしまマラソン2018

とくしまマラソン。

3:20:00の力があると想定してのペースで走り始めましたが、30kmまでは順調に進み、その後足が急激に弱り、3時間24分になりました。やはり練習が確実にできていないとだめということがわかりました。

5:00/km, 4:50/km, 4:40/kmで走れば、もっと楽に速く走れたかな。

阿波踊りの連が競技場で踊って応援するのはスタート後、3:30からということで、まだ踊っていない。しかしバッチリ化粧し、衣装も着てスタンバイしていて、誰だかよくわからないままに握手したりしました。私が踊りの練習の様子を見せたのは受けていました。レースは悪いレースでしたが、記録はまあまあですね。

記録 3:24:38

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2018/3
走る教授 米村重信のマラソン白書 2018年3月24日 
明日、とくしまマラソン

過去のトレーニング記録とにらめっこ。

トレーニングの強度は3:20:00くらいで走れる強度になっている。

しかし、週末のポイント練習で距離やペースが達成できなかった週が二つある。週の半ばに阿波踊り練習があった時だ。予想以上に疲労がたまる。調整期において、疲労が十分抜けたのか?また疲労の影響か、スピードのキレもない。あるいは3:30:00すれすれの状態ということもあり得る。

迷いはあったが、実験として、この状態で3:20:00を想定したレースペースで走ることにする。うまくいけば自信になるが。15 kmまで4:50/km, それから30 kmまで4:40/km, 最後は4:30/km。うまくいっても最後は実際にはせいぜい4:35/kmというくらいの想定。

さらに想定は続き、ゴールの競技場のトラックに面して阿波踊りで応援している私の連の人たちに一旦立ち止まって、踊り返してそれからゴールしようとしている。そのための女踊りをにわかに練習したりしているが、そんな場合じゃないだろ。

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明日
走る教授 米村重信のマラソン白書 2017年5月6日 
多摩川下りの旅

大学時代の合唱団のOBOG仲間で多摩川沿いに住んでいる人を中心に、自動車が通れず、歩行者、ランナー、自転車専用の整備されている多摩川沿いのコースを走ることにしました。

青梅近くの羽村から私の実家のそばの六郷橋までの予定。コース自体はさらに河口近くまで53 kmですが、六郷橋までなら50 km ほど。実際は東京から神奈川、また東京へと橋を渡ったり、公園での昼食、お世話になっているお宅を訪問、最後はコースを外れて銭湯をゴールとするなど、総距離60.0 kmでした。

多摩川も羽村近くでは中流、下流と違って緑あふれて山深い感じもあります。羽村市、福生市、昭島市、立川市、日野市、国立市、府中市、調布市、狛江市、神奈川県川崎市の多摩区、高津区、中原区、東京に戻って大田区、川崎に戻って幸区、という感じで移動しました。東京は市が小さいのでみるみるうちに変わってきます。

8:00にコースを出発、六郷橋に18:00頃(途中、走らず休んでいる時間もかなりありました。ビールも飲んでしまっています)に到着でした。雨が降らないのは良かったのですが、気温が高く(28度くらいまでは上がったようです。また日差しが強く、日に焼けて腕の肌が痛くなってきたのは、日向にいるのがイヤだな、と思わせました)、辛さもありました。

それでもほぼ1日かけてそこそこの人数で休み休み走ってみるのにはよいコースのようでした。一人で走ればウルトラなどの練習にもなりそうです。ただ、このくらい暑い時より、やや肌寒いくらいの方がよいようですね。春先か紅葉の頃でしょうか。
 宴会もあり、股関節の障害で数年歩行困難であった仲間が手術がうまくいって、
また走ることもできそう、ということを聞いて大いに喜びました。充実した1日を過ごすことができました。

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2017/5
走る教授 米村重信のマラソン白書 2017年3月26日 
とくしまマラソン2017 レース後の打ち上げ

レースの後の打ち上げ。

マラソン界ではスーザフォンを担ぎ、演奏しながらでの走りで世界的に有名なレオさんご夫妻と、

心臓冠動脈の狭窄をふせぐステントの手術をしてから走り始めたという大橋さんと。走っていなかったら絶対に知り合っていなかったであろう人たちとの至福の時間でした。

写真は博子さんからいただきました。

打ち上げ
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走る教授 米村重信のマラソン白書 2017年3月26日 
とくしまマラソン2017

2回目のとくしまマラソンを走ってきました。

私のとっては今シーズン2度目のフルマラソン。先月の高知龍馬で3時間20分の壁を超えたところです。

今回のとくしまでは3時間15分を切るという目標がありました。そのためのトレーニングをしたのですが、30 kmまでは予定通りの自信がありますが、その先は予定通りにはペースを上げられないのを自覚しています。それでもペースを上げることのできる時間がちょっとでも長ければと考えて臨みます。

結果としては競技場内での最後の応援の阿波踊りを真似して踊りながら、3:14:45 (ネット)でのゴールで
目標達成です。一ヶ月で4分近く縮んだのも嬉しいことです。ただ、スピードには限界があり、年齢からくる体力の衰えもありますから、これが生涯ベストと考えています。そういう気持ちもあり、ゴール後は自然と振り返って一礼しました。

今年度は前半はお四国ランで旅として走ったのが非常に良い思い出になりました。

フルマラソンも故障をごく初期に見出して早く治す、ということができたため、そこそこ予定に近いトレーニングができましたし、石油ファンヒーターの導入、マスクしての睡眠など、絶対に風邪をひかない意欲を保ちました。

さらに貧血をレバーなどの食物の鉄分、吸収のためのビタミンC、さらに鉄剤を使うといった栄養の改善で平均レベルに近づけることができたのが大きかったかもしれません。私としては一区切りのついた収穫の多いシーズンでした。

記録 3:14:45(ネット)

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2017/3
マラソン白書2017
走る教授 米村重信のマラソン白書 2017年2月19日 
高知龍馬マラソン2017

昨年に引き続き高知龍馬マラソンです。

今回は高知大の次男に加え、京都の長男も参戦。出る、と言っても、学生に練習の自己管理はなかなかできないもので、最終的なアドバイスは練習不足で実力が自分の理想とかけ離れていても、その実力をきちんと認めて、実力の平均ペースより低いペースで走り始めること。それでもそのペースが最後まで守れなければさらに実力は低かったことになる。終盤上げられれば、周囲をごぼう抜き状態でゴールでき、次は必ずもっと速く走れる確信が持てる。

 

家内に頼んで付いてきてもらいました。それは、帰りに車の運転をお願いするため。月曜には出張なので神戸に戻っておかないと間に合いません。子供のゴールの時間が読めないので高速バスなどを予約するのはリスクが高く、三人で行くなら自家用車が安上がり。

そういうことで、行きは日和佐のウミガメの博物館により、また室戸岬も見物しました。次男も連れて高知市で夕食。その後次男のアパートで雑魚寝。私が寝ようとしてもそれぞれ話していて、睡眠時間が確保できんじゃない、と思っているうちに私は眠りにつきましたが、その後は私と家内のいびきで次男は寝付かれなかったそうで、、、

 

さて、当日は高知城近くの駐車場に車を止めます。私は朝食後さらに700 kcalくらいを摂取。今年は子供の伴走はなく、私は単独でAブロック。少々気温は低いが、風があまりないので選手の中に入っていればそれほど寒くはありません。実際、天気は良く日差しもあり手袋などはすぐに入らなくなりました。

予定のペースは4:50/kmで15 km,  4:40/km で次の15 km, その次はゴールまで4:30/kmですが、これはできるだけペースアップする、ということでよしとします。4:30/kmでずっと押せる実力はないと自覚しています。

さらにゴール直前は競技場までの長い登りがあり、ペースは確実に落ちてしまいます。終盤まではほぼ予定通り。30 km以降は4:30/kmよりも速いこともありましたが、やはり力不足があり、特にゴール前は5:00/kmより遅くなりました。それまでは上り坂ではどんどん抜かしていたのに、おおいに力不足を感じました。しかし、40 km地点ではこの後5:00/kmでも3:20:00を切れることを確信できたので最後の登りは焦らず確実に登ればよいと言い聞かせました。3:18:51でゴール(ネットでは3:18:35)。目標の3:20:00を突破できました。力不足を感じたもののタイム的にはこの数年の目標を達成できて満足です。次男のタケルは練習不足ではありましたが、昨年よりも大幅に短縮、4:00:41であと少しでサブフォーでした。

長男の三四郎は初マラソンでしたが、練習も不十分で相当苦労したようで5:38:33。最後は歩いていました。母親の記録より遅い。高校まで陸上の長距離選手だったのですから、それも重要な経験でしょう。

私は来月徳島マラソンがありますが、できればさらに記録の向上を目指して今シーズンを終えたいですね。1ヶ月の間隔なので実力を上げることはできないかもしれませんが。今日は満足で缶ビールを2本です。明日も朝は疲労回復のために走りますが。

記録 3:18:35

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